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オレンジ通信 4月号

                            第86号(通算548号)
安倍政権と小泉政治の呪縛(下)

弱肉強食の政治

 自由主義社会において、市場原理が経済の中心に座るのは、一定の条件の下で、当然の帰結です。

 特に、ソ連邦の崩壊後、社会主義、共産主義が歴史の舞台から退場することになって、市場至上主義を監視する思想、哲学が無力化したことは事実です。
 中国が、経済に市場原理を導入しつつ、中国共産党による一党支配、という統治方式をとっていることが唯一の例外でしょう。(宗教と統治機構の関係については、ここでは敢えて取り上げません)。

 小泉劇場は、政治のオムニバス化によって国民の注目を集めたため、政治に単純化が求められたのは当然でした。(※オムニバスはラテン語で万人向きの意)

 市場経済についての誤った認識と、その過度な重視、これが小泉政権の第三の問題点です。
 小泉政権が強調した市場原理は、
第一に、強者のためのものであり、真の意味での市場原理とは言い難いものがありました。
第二は、もともと市場原理に馴染まない分野までも一律に競争原理の場に持ち込む危険性を指摘しなければなりません。
 もし、市場原理に経済を委ねるなら、破綻した金融機関は、国の預金者保護を前提として、整理すべきでした。
ところが、ゼロ金利の金融政策で、預金者の利子所得を犠牲にし、その上、国民の税金まで動員して金融機関を助けたことは、市場原理とはほど遠いものでした。
この事と相まって、大手企業の負債を金融機関に処理させたのです。
正に、平成の徳政令を、一部の強者であった者のために発動したことと同意語と言ってもいいでしょう。

 このようにして、大手金融機関は、再建され、現時点では、巨額の利益を上げています。
 一方、地方銀行に対して、金融庁は、不良債権の処理を急がせています。その結果、地方の中堅企業も含めた中小企業の倒産が増加しています。
 また、地方銀行は、不良債権を抱えた地元企業を、その負債を整理した上で、外資や地域外の資本に売りさばいています。その場合、企業保有の不動産の資産価値は、かなり低めに見積もられ、買い手は、その時点で、相当の含み益を獲得したことになります。
 これでは、地域間格差は拡大するばかりです。

小泉政権の市場主義についての誤った理解に基づく政策の間違いは、数多く、必ず、近い将来その是正が求められことになるでしょう。

安倍政権は、こうした、小泉政権下で整備?定着?した金融や税制をはじめとする仕組みや手法に手を付けずに、何をどの様にしようとしているのか、判然としないのです。

安倍政権の教育政策の虚構

 安倍政権が、最大の課題と称している教育をめぐる政策も、小泉政治の枠を超えない限り羊頭狗肉に終わってしまいます。
 これが、小泉政権の第四の問題点です。
 小泉政権下で、「行政改革推進法」という法律を制定しました。
 行政改革の本丸は、行政組織の簡素化であり、特別会計の廃止と特殊法人の原則廃止にあった筈です。
しかし、小泉政権がやったことは、特殊法人を「独立行政法人」という目先を変えて実態を残す、という手法でした。
それは、単に看板を書き換えただけでした。
 その上、行政改革の見せかけの実績を膨らますために、国立大学を独立行政法人化し、さらに、約13万人の国立大学教職員を非公務員化したのです。
ここで、見せかけの実績を膨らますために、という内容は、国立大学の非公務員の人件費は、文部科学省の予算に計上されている、という意味です。
 もともと、国立大学と、他の特殊法人や特別会計とは、その成り立ちからも同列に論じられないものです。
 しかし、一千兆円を超える巨額の財政赤字(平成十九年度末)を抱える日本の財政を考えると、国立大学の独立法人化は、財政の立場から、次の段階に進むことになります。

教育と研究における市場原理導入の誤り

 それは、教育・研究の分野にも、市場原理が持ち込まれる、ということです。
 現に、安倍首相の諮問機関の教育再生会議は、国立大学の学部別授業料を提案しています。
この学部別授業料問題は、昭和五十年(1975年)前後に、論議の対象になった経緯があります。
しかし、これは、「文系と医学・理工系の授業料にそれぞれ市場原理を導入することによって、学生が経済的理由から希望する医学や理工系に進学することを断念することがあってはならない」。という結論で、論議に終止符が打たれました。
国立大学が、教育において果たすべき役割は、貧富の差によって、若者の人生における出発点が左右されない教育環境を用意することである、という考え方です。
また、そのことが、日本の社会全体にとって有意義である、という認識でした。
 以上述べたことは、今日においても、生きていますし、社会の各分野での格差が論議を呼んでいる時、より重要な教育政策である、と確信します。
 安倍政権において、市場原理は、学術研究の分野にも導入されようとしています。
 私が、学術研究に市場原理が導入されることに反対するのは、次の理由からです。
 市場原理が、小泉政権誕生以来、今日まで、あたかも聖域のように位置づけられてしまいました。
 本来、自由主義社会の在り方、その自由社会における市場原理の可能性と限界を論ずる時、まずやらなければいけなかったのは、市場原理に委ねる分野と、公的、或いは社会的規制が求められる分野の区分の整理でした。
 日本が、現在、先行き不透明な情況に陥っている原因の一つは、その原則が示されないまま、規制緩和、市場原理の導入が、あたかも「疑いのない正義」であるかのように位置づけられて、いきなり政治課題になったための混乱にある、と、私は思います。

 学術研究の分野は、市場原理に馴染まない、というより、市場原理に委ねてはならない代表的なものです。
 市場原理は、当然のこととして、利益を求め、しかも性急に成果を要求します。
学術研究の重要性は、基本的には、基礎研究にあります。
もちろん、一人の天才の出現によって、一瞬の閃きが、大きな発見や発明に直結することは稀にあります。しかし、その場合といえども、天才の目に見えない努力や、生来の基礎的学問の素地にあることは、多くの天才といわれる人物の伝記によって明らかです。
 もし、大学や研究機関の学術研究に市場原理が持ち込まれれば、どういうことになるでしょうか。
そこでは、当然、研究にも経済的合理性が求められます。
それは、言葉を換えれば、「結果が早く出る研究」が重視され、「研究に長期間を必要とする分野」や「試行錯誤の結果、なお、なかなか結果が出ない研究」は、軽視される、という傾向が、学術研究の根幹を揺るがしかねない、ということを意味します。
 理工学系に関して、この傾向は、顕著になり、医学、薬学の分野でも同様でしょう。
 私が、特に案じているのは、国立大学を独立行政法人化した、小泉政権から安倍政権へと続く現政権下で、国立大学の独立採算の方向性を示して、民間資金の導入を積極的に進めることが確実だからです。
 資本の論理が、日本の学術研究と教育を、こうして支配することになることは、日本の将来に大きな禍根を必ず残すことになるでしょう。
 理工学系でさえ、こうした傾向であることを考えれば、学問の府である大学における、文系の学問の将来は、極めて危険です。
例えば、日本の大学が、今日までも、「哲学」を重視してきたとも思えませんし、「哲学」に代表される学問分野の今後が心配されます。
また、経済的合理性が、大学に蔓延すれば、「古代ギリシャ語」「ラテン語」「ヘブライ語」等を教える教室もいずれ消滅するでしょう。

以上述べた様に、市場原理を重視する分野と、市場原理で割り切るべきではない分野を早急に峻別すべきです。
学術研究、教育に限らず、あらためて、政治と行政の責任の在り方を再整理しなければ、医療と社会保障、治安や公共サービス部門等多くの分野で、混乱を引き起こすことになることを恐れるのです。

(未完)